可視電子実記(かしでんしじっき)

勉強記録とか気になったことをアウトプットします

美しいものが見えなくなるなら狂ってしまってもいい

日時

2021/08/06

やってたこと

なし

 

服薬を自分の判断で中止してから5ヶ月経った。再発したと思う。自分自身の変化としては

・目が開くようになった

中止後3ヶ月

・社会性が減った

中止後2ヶ月

・反社会的な思想が強くなった

中止後2ヶ月

・体感幻覚が現れた

中止後5ヶ月

・衝動性が強くなった

中止後2ヶ月

・思考のまとまりが欠け始めた

中止後5ヶ月

・体重が健康的に減った

中止後1ヶ月

 

典型的なパターンを辿っている。1〜2年以内50%再発らしいが、早くも50%に入ってしまった。

薬を飲めば普通の人に近づける。飲んでいない自分はきっと側から見れば変な人なんだろう。

今まで8年間飲み続けていたものを手放すのは恐ろしかった。ようやく手に入れた普通っぽさが失われて、また言動で人を傷つけてしまうと思っていた。いずれ廃人になる、という話も怖かった。

でも、美しい世界を諦めたくなかった。

 

薬を飲まなくなり、悲しくなることが劇的に減った。飲んでいた頃は毎日のように悲しくて苦しくてはやく流行病で死ねないかと思っていた。一人暮らしをしていたアパートに健康器具のぶら下がり棒を買っておいていた時もある。固定用のダンベルと丈夫なロープも。週1回は首を吊ろうとしていた。適したロープ結び方も首のどのあたりを絞めれば息苦しくないか勉強した。トビやすくするための呼吸も試した。でも生きている。もう健康器具は売った。

死にたくなくなって、とても息がしやすくなった。楽しいことを心から楽しめるようになった。自分を低いところに縛っていた鎖が減った。

 

病識はある。私は慢性疾患で薬を飲み続けるべきということも知っている。

それでも、見ることを辞めたくなかった。

 

体感幻覚は「これは幻覚だ」と思えば耐えられる。手に力が入らなくなるし奇妙な感覚でも。

社会性の減少も適切な人との対応を覚えて、外部の人との関わりを続ければ多少の低下で保てる。

反社会的な思想も外に出さなければいい。誰だって嫌いな人を傷つける妄想はしたことあるだろう。それをヒトに話したり実行しないだけで。

昔は困った衝動の多くは無駄使いだった。家計簿を毎日つけて金額や傾向をチェックしている。また元々臆病な自分は人を迂闊に攻撃できないし、反撃されるのも怖い。適切な恐怖はリミッターになる。対人への衝動は問題無いと思う。

思考のまとまりが欠けるのはじっくり考えてゆっくり話せば少しはカバーできる。考える時間が増えれば少しはまとまらせられる。

 

でも、嫌なことを言われてイライラした時カジュアルな場なら言いかえすことが普通の人はないのだろうか。家族が嫌いな人が実家に帰らないのは合理に叶っている。それは社会性がないのだろうか。流行病で不思議なことを言っている人々はまとまりがない思想で社会を脅かしているなら反社会的ではないのだろうか。

性格が悪くて、人の悪口を言い、陰謀論を振りかざす人は病気ではないのか。

私が犯罪を犯そうとしたり、人を傷つけるならすぐに薬を飲ませるべきだ。

 

普通の人の幸せを追い求めたいなんて贅沢なことは言わないから、平凡な写真を見たり、代わり映えのない街並みを眺めることぐらい許してはくれないのだろうか。母親にお前は気持ち悪いと言われたら、私はそう思わないと言い返してはいけないのだろうか。落ち着いて言い返しても反社会的なのだろうか。

 

薬は悪くないし、多くの人を救ってきた。これからも使われるべきだと思う。

リスクとベネフィットを天秤にはかり、リスクがあまりにも重くなりすぎてしまった。

気が狂った人で構わないし、他人に迷惑かけないから、ただ目をあけていていたい。

許してはくれないんだろうな。